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その四 「受け」と「受け身」
平成15年6月4日
体術において「受身」
基本的に、「受け」と「取り」が存在する稽古体系の中で
状況によって、受身が必要になります。
ただ、受身を語る前に、
そもそも自分達がやっている、やろうとしているのは何なのか
を考えなくてはいけないのではないでしょうか。
例えば、柔道の受身は、
明らかに、自分の身体を守る(怪我を防ぐ)という考えが強くでています。
これは、投げる、投げられるという関係、
そして、投げられるときには体は死に体にされています。
自分のやっている体術は、
剣の世界での、素手における表現だと捉えています。
間合があるうえでの攻防なので、
当然、間をとられること、剣でいう斬られる状態はさけなくてはなりません。
これが受身としての動作になるのです。
その場合、受けは、
間や体の中心を取られそうになるのをかわすというものになるはずです。
ですから、きちんとした受身は、
決して相手に投げられたわけでも、崩されたわけでもないのです。
そうする必然があるだけのことです。
結果として、その受けが、そのまま「返し」にもつながってきます。
受け身の時に音をたてる、たてないも、
取りと受けの相関関係で、何が行われているかです。
死に体にさせらせ、投げ飛ばされたら、
体で衝撃を殺さなくてはいけないし、
叩きつけられたり、巻きこまれても、
衝撃で音がでることになります。
また、自分から反動をつけて受けを取っても 音はでます。
この場合、武術的には、自分から死にに行くようなものですが。
(受け身を取ろうとした足を踏ん張る瞬間と受け身をとった瞬間が無防備
=剣でいう斬られる可能性)
では、音がたたないといいのかというと、決してそんなことはないです。
相手が技をかけてきた時に、自分の肩を抜いて、
柔らかくまわってしまう人がけっこういますが。
これもまた、武術的には自殺行為です。
肩を抜くということは、やはり死に体になります。
また、自分から勝手にまわっていくので、下半身が遅れます。
受けをとっている途中で、下半身が無防備になっているずです。
ですから、きちんとした受身は、やるべきことをするだけです。
相手がやろうとしてくる流に身を任せ、自分の体を合わせるのです。
ですから、先ほどものべましたが、それがそのまま、「返し」につながり、
相手がその流れに合わせると、「返しの返し」になっていくのです。
こうなると、投げた投げられたなどという感覚は、皆無です。
そんなことはどうでもいい世界。
相手に合わせるだけなので、
自分が受身がうまいとかいう感覚さえもおきませんので、
ちょと寂しくなるかもしれませんが。
相手がいるから、自分もいる。
これが、「柔(ヤワラ)」の世界だと思っています。
ですから、受身をとることは、負けでも、終わりでもなく、
受けがそのまま、場合によっては返しにもつながってくるのです。
もちろん、それが自分の身を守ることにもつながりますが。
初心者の人の受けが硬くなるのは、
受けを自分から取るものだといいう意識があるから、
自信がない「怖さ」が生じ硬くなるのでしょう。
受身は、受ける身なので、
自分から取ろうと思っては、受身の本質から離れてしまうのではないでしょうか。
良い稽古をするためには、
良い受けが出来なくては成り立たないし、
良い受けは、
一つ一つの型が自分達に何を課題に与えているのか
何の意味があるのかを考えることだと。
そして受けは、状況、相手の段階、何の稽古かによって
どれだけ使い分けできるかだと思っています。
1. 相手の無駄な動きを察知し、そこを止めていく受け
2. 相手が無駄な動きに自然に引っかかるような受け
3. 相手をいい動きを増長させる受け
4. 相手の悪い動きを導いて消す受け
5. 受けが最初から誘導する受け
このような受けを、さらに状況に応じて細分化して、
どれだけ対応できるかが受けのレベルだと思っています。
ここには、型稽古における技の方向性を無視しての
力任せの受けや肩や肘を力ませる受け、
勝手に転がる受けは 、
私の中には、受けとして存在できないです。
ですから、受けは取りよりも難しい、重要だということです。
型稽古において、
技がかかる、かからないなんてどうでもいいことです。
手順やテーマが決まっているものですから、
相手が無視したり、方向を遮断するような動きをすれば、
かかるほうがおかいしのです。
相手を崩す、崩れない、出来た、出来ないに捉われるのではなく
何の稽古をしているかを考え、
「受け」は稽古を導いていかなくてはならないものだと思っています。
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