剣の為の体術

剣術、居合がメインではありますが、体術の稽古も剣が上達するために重要です。無駄なく、必要最低限の力で、剣を扱うことが初動を消したり、腕ではなく、下半身の緩みて剣の方向を変えたり。こうした方向で稽古をすれば、体術の稽古がそのまま、剣の稽古になり、より上達に近付きます。体術の場合。相手と接した状態で、行うので分かりやすいです。

ただし、互いに何のために 何をしてるかを 理解していなければ、意味がなくなる場合あります。稽古は考えずにやってもダメですが、考え過ぎても動けなくなります。理解して考えずにやるのです。

やわらかい受け

当会では、体術は、剣の世界を体現化の一つとして捉えています。

そのために受けは、

投げられたではなく、斬られないために捌いたり、斬り返すための柔らかさを求めます。

初心者には、

勝手に受けを取らないこと。

カラダを固めないこと。

を徹底的に意識してもらいます。

固めないでと言うと、勝手に受けをとり、勝手に受けを取らないでと言うと固めてしまうものです。

かなりの人がこれに戸惑ってしまいますが、相反するものではなく、並存するというか、ただ、柔らかくしていればよいのです。

柔らかさは、正しい方向を導き、ぶつかりを産まず、時には強さもそこに見いだせるのです。

稽古の意味

稽古には当然いろいろなやり方アプローチがあります。難しいのは、そこに何の意味があり、なんの為にやっているかをどこまで理解してやっているかです。古武道系の稽古では、手を掴んでいる状態から技を掛ける場合あります。この状態だと、掴まれ接しているので自分の動きが察知されやすいわけです。力や小手先のテクニックではなく、初動を察知されずに動くことで、相手の肩を抜いて崩してしまいます。

持っている相手に対し動けることは、離れている相手に自分の腕の動きを目立たせず、無駄のない動きが出来ている可能性を示します。まさに帯刀している状態で刀を抜く居合の世界。これへの上達への道の稽古になるのです。

武道武術となると、実践、実戦とかを意識しがちですが稽古においては、今 何をして、何をやるべきで、何を学んでいるのか。そこを考えることも、また稽古。

頑張らない

槍が剣より圧倒的に優位性があるように、体格が良い者、力が強い者は、 そうでない人よりも同じ土俵では圧倒してしまいます。

限定下のもとで、力や大きさ、長さで対抗しないことを学ぶのも稽古で行います。

無理なもの、出来ないものはあるわけで、そこに執着せずに、自分がやれることをどうやるかの工夫が稽古の楽しみになります。

いかに無理しない、頑張らないかも、またアプローチの一つでもあります。

下の稽古風景では、力のない人が、力を入れて剣を振ったところ、たいして影響はないのです。

腕の力を抜いて 打ち込もうする意識も抑えることで、初動が小さくなり、速さが出てきて、また、胸が緩んでいることで、剣に体が入り重さを産み出します。更に相手の中心をしっかり観ることで、点.線.面で働きが起きています。

そこには、自分が出来ないことを無理にやろうとしない意識があり、出来ないことが分かるからこそ、出来る自分に出会えるのです。

対人

武術武道は、対人を常に意識します。

相手と自分を向き合う世界。

稽古において、特に居合は、自分一人になりやすいです。よく、想定敵(仮想)と言いますが、想定敵が、動かなかったり、追ってこなかったり、隙をついてこない想定敵であれば、それは自分都合の存在でしかならないです。

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